ジープの歴史 1940年代

1941年、米軍兵士をサポートするために生まれたJeep®。この時、その歴史は始まりました。 その後、Jeep®は「どこへでも行ける。何でもできる。」スピリットを胸に、 各方面で革新的なモデルを送り出し、4×4カテゴリーのトップブランドとして走り始めたのです。

1940 WILLYS QUAD 

1941 WILLYS MA 

1941-1945 WILLYS MB 

1945-1949 JEEP CJ-2A 

1947-1965 WILLYS-OVERLAND TRUCK 

1948-1951 JEEP JEEPSTER (VJ) 

WILLYS QUADの物語

1940 WILLYS QUAD


1940年6月、米国陸軍は135社の自動車メーカーに対して「軽量偵察車」の受注入札を要請しました。これに応じたのは、アメリカン・バンタム、ウィリス・オーバーランド、そしてフォードのわずか3社のみ。しかし、この3社が1年後に共同生産した一台こそが、初代Jeep®モデルとなったあのWillysです。

WILLYS MAの物語

1941 WILLYS MA


ステアリングコラムにシフトレバーを設置。サイドボディの低い位置まで乗降口をカット。ダッシュボードに円形インストルメントクラスター2個を装備。ハンドブレーキを左側に配置。Willys Quadをベースに開発されたWillys MAは、MBの原型となったモデルです。 重量を約980kgまで減らすため、一切の妥協が許されませんでした。そして、最終的にその重量は、仕様値をわずか180kgほど上回るだけとなったのです。

 

Front grille of 1941 Willys MA. Photo Courtesy of U.S. Army. 

 

1941 Willys MA. 

 

1941 Willys MA prototype at Camp Pickett, VA. 

WILLYS MBの物語

1941-1945 WILLYS MB


米国陸軍の発注に対して開発された一台。それが、Willysであり、初代Jeep®モデルです。 タフで使い勝手に優れたWillys MBは、陸軍兵の「最良の友」のひとつとなり、馬やオートバイを完全に時代遅れの乗り物にしてしまったのです。 その使い道は幅広く、砂漠の長距離パトロール、除雪、電話線敷設、製材用車両、消防ポンプ車、戦場救急車、トラクターなどなど。しかしそればかりでなく、ホイールを付け替えれば線路を走ることもできたのです。 ある人は、Jeep® 4×4を「近代戦に対する米国最大の貢献」と絶賛。またある人は「あれは何でもやってのけた。どこへでも行った。犬のように忠実で、ラバのように強く、ヤギのようにすばしこかった。いつも規定の2倍の荷物を積んで、それでも走り続けた」と語っています。 「どこへでも行ける。何でもできる。」― Willys MBは、後に続く世界中の4×4モデルに影響を及ぼした一台です。ニューヨーク近代美術館では、8台の自動車展示に軍用Jeep® 4×4を1台含めており、「きわめて稀な機械芸術表現のひとつ」としています。

 

Willys MB. 

 

Willys MB and troops disembark from a Coast Guard. 

 

Jeep Willys MB “Through Hell and High Water” advertisement. 

CJ-2Aの物語

1945-1949 JEEP CJ-2A


作業車両として新しく登場したパワフルなWillys MB。このクルマはCJに改造され、「農耕馬」として農地に送り込まれました。当時の米国の農業人口は550万人。このうち、トラックもトラクターも持たない人が400万人以上もいたのです。 丈夫で多目的性に優れたCJ-2Aは、「万能農耕馬」として販売されました。大きな荷馬2頭分の仕事を、1日10時間こなすうえ、エンジンがオーバーヒートすることもないこのモデルはその後、世界中の農業や工業であらゆる用途に使われることになりました。またこのモデルのもうひとつのキャッチコピーは「走るパワーハウス」。作業車両、走る動力源として世に売り込まれたのです。 販売は好調で、『ポピュラーサイエンス』誌は「Jeep®の平和利用案」を懸賞金付きで募集。まもなくJeep®車は何百もの用途に使われるようになりました。中でも注目すべきは、1949年から1964年にかけて、Zamboni®の整氷車がすべて、Jeep®車か、そのシャーシを採用していたこと。この整氷車はそれまで1時間半以上かかっていた作業を10分に短縮しました。 尚、CJ-2Aはトランスミッションとトランスファーケースのギアレシオを変更することで、輸送用低速走行および約100km/hでの高速走行が可能となっています。

 

1946 Willys-Overland CJ-2A. 

 

Willys CJ-2A. 

 

Jeep Willys CJ-2A advertisement. 

WILLYS TRUCKの物語

1947-1965 WILLYS-OVERLAND TRUCK


Willys Truckは、もともと近代農業を営む農家向けに販売されたものでした。 二輪駆動と四輪駆動を設定したこのTruckは、ピックアップや柵付き荷台、シャーシ、運転台を搭載できたほか、シャーシ単独でも販売されていました。他社のトラックが50年代後半まで四輪駆動を設定できなかったのに対し、Jeep®のピックアップは40年代後半にはすでに四輪駆動を採用していたのです。 このモデルはシートメタルをわずかに変更しながら、60年代になって後継のGladiatorピックアップが登場するまで生産が続けられました。

 

1950 Willys-Overland truck. 

 

1960 Jeep truck. 

 

Willys-Overland Truck on the hill. 

JEEPSTERの物語

1948-1951 JEEP JEEPSTER (VJ)


Jeepster VJ は、米国製自動車としては最後のフェートン型オープンボディモデルで、風雨対策としては上下に動くウィンドウではなく、サイドカーテンを使用していました。著名な工業デザイナー、ブルックス・スティーヴンズがもともと低価格のアメリカンスポーツカーとして手がけたものですが、最終的には当時としては法外な値段が付くことになりました。 Jeepster VJはCJ-2Aとは異なり、女性や大卒ドライバー向けに販売され、そのドライバーの多くは、晴れの日だけ、つまりセカンドカーとしてこのクルマを使っていました。四輪駆動は設定されていません。 Jeepsterは最近では認定収集品となり、歴史的な価値が認められてきています。1971年、イギリスのグラムロックバンド、T・レックスがJeepsterに同名の曲を捧げました。ヒットアルバム『電気の武者』に収録されたこの曲は次のように歌われています。「君の愛を求める僕は、まるでどこにでも行くJeepster」。

( DisclosureCourtesy of Toledo-Lucas County Public Library Collection)

Courtesy of Toledo-Lucas County Public Library Collection

 

1951 Willys-Overland Jeepster. 

 

Willys-Overland Jeepster On backyard. 

 

1950 Willys-Overland Jeep® Jeepster Advertisement.